キハ28 448 → キハ28 2448



1966年4月13日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で勝浦機関区に新製配置された。同一ロット446〜449のうち、当車のみが勝浦へ配置されている。勝浦では急行「そと房」を中心として房総半島の急行列車で活躍した。当時千葉局の急行気動車は大半が千葉に配置されていたが、地方の小機関区を廃止させない意向から館山や勝浦といった区にも少数が配置された。1970年7月10日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2448へ改番された。1972年7月には外房線が電化され、勝浦機関区の気動車配置は廃止され、当車は電化同日付で千葉気動車へ転属した。以降房総地区全域で急行列車で使用されたが、総武本線が1974年に電化され、「50-3改正」で房総地区の気動車急行が全廃されたため、1975年3月13日付で和歌山へ転出した。和歌山では「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行で長く活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が電車特急に格上げされ全廃されると用途を失い、1985年3月13日付で七尾へ転出した。七尾では多数を占めていた初期車に代わり、急行「能登路」や七尾線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は1987年度に近郊化改造され、1989年11月20日付で塗装も七尾普通色となり、普通列車で使用された。1991年9月の七尾線電化に伴い小浜鉄道部へ転出し、水色ベースの「小浜色」となった。直後の1991年10月15日付でワンマン化されている。以降小浜線・舞鶴線のワンマン普通列車で活躍したが、1999年の舞鶴線電化により活躍の場が狭まり、最後は2003年3月15日の小浜線電化で用途を失い、2003年7月25日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に関西地区タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。テールライトは新製時から外ばめ式である。正面窓上の通風口・水切りともに撤去されている。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っていたが、1990年頃には既に撤去され根元の部分の痕跡のみが残っていたが、最末期には痕跡が無くなっていた。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。当車はカセット式汚物処理装置取り付けに伴い、便所部側面に点検蓋が設けられている。また4VK冷房発電セット取り付け時に、3位側側面に吸気口が設置されている。乗降ドア隅の丸窓が完全に撤去され無くなっている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。油タンクは角型の新型に更新されている。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4VK発電セットが取り付けられている。後位側にはカセット式の汚物処理装置が取り付けられている。


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