キハ28 449 → キハ28 2449



1966年4月13日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット446〜449のうち、当車のみが千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行列車で使用された。キハ58系では早期の1969年5月25日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2449へ改番された。引き続き房総地区の急行列車で使用されたが、総武本線が1974年に電化され、「50-3改正」で房総地区の気動車急行が全廃されたため、1975年3月15日付で熊本へ転出した。熊本では急行「えびの」で長く活躍したが、国鉄末期になると短編成化が進み、「61-11改正」で急行「えびの」の基本編成からキハ28が外されると余剰となり、1986年11月1日付で竹下へ転属した。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は竹下配置で博多近郊の普通列車で使用されるようになった。1989年以降は当車は急行の増結用及び波動用として使用されることになり、塗装が九州急行色へ変更された。1991年3月16日には竹下気動車区が廃止され直方に統合されたため当車も直方へ転属した。1992年7月15日のダイヤ改正ではキハ185系の投入により急行「由布」「火の山」が廃止され、当車も増結用としての用途を失ったことから、同改正日付で長崎へ転属した。長崎では快速「シーサイドライナー」用種車からは漏れ、塗装も九州色へ変更されて他の一般車と同じく長崎本線・大村線の普通列車で活躍することとなった。この状態は長く続いたが、2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われキハ200及びキハ66・67が転入した際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ設置されており、冷房電源用ジャンパ受栓は初期冷房車の低い位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型のままである。タイフォンカバーは、一般的なスリット式カバーに変更されている。テールライトは新製時から外ばめ式である。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。当車は晩年の九州では珍しく千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。300番台以降の乗降扉下部隅の丸窓は、撤去されており存在しない。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。当車は晩年の九州では珍しく、機関予熱器が残っている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。当車は床下水タンクが原形の鋼製のままである。


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