キハ28 450 → キハ28 2450



1966年4月22日日本車輌製の第6-6次車で、昭和40年度第1次債務で苗穂機関区へ配置された。同一ロット450〜453のうち、450・451が苗穂へ配置された。苗穂へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後1966年9月14日付で青森へ正式配置された。兄弟の450〜452共に青森への正式配置である。青森では急行「しらゆき」をはじめ、東北・奥羽本線の幹線急行で使用された。1973年頃より急行「しらゆき」の冷房化が行われることになり、1973年5月10日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2450へ改番された。そして1973年10月改正で青森のキハ58系は秋田及び盛岡へ集約され、当車は1973年10月1日付で盛岡へ転出するが、1974年3月25日付で急行「しらゆき」用として秋田へ転出した。秋田では急行「しらゆき」の指定席で優先的に使用された。「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は廃止となり秋田のキハ58系は大量に転出するが、当車は残った急行「むつ」用として引き続き秋田に残留した。しかし「60-3改正」で急行「むつ」が特急格上げされると余剰となり、1985年3月16日付で山形へ転出した。山形では初期車に代わり急行「月山」等で活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き山形配置で主に普通列車で使用され、1989年度にはJR東日本では珍しく室内が近郊化改造された。1990年3月には機関がコマツ製DMF11HZへ換装されたが急行「月山」用のアコモ改造は施工されなかった。そのため急行「月山」のアコモ車登場とともに同急行から外れ、1991年3月16日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」をはじめ、陸羽東線・石巻線をメインに活躍した。そして塗装も「東北地域本社色」へ変更された。その後急行「月山」の快速化により同列車のアコモ車が小牛田に転属して快速「南三陸」指定席車のアコモ改良を行うこととなり、小牛田と新庄の間でアコモ改造車と一般車の交換が行われ、当車は1993年12月1日付で新庄へ転属した。新庄では再び快速「月山」で活躍するようになった。しかし1999年3月のダイヤ改正で山形新幹線新庄延伸にともなう工事のため「月山」が運休となると用途を失い、当車は検査期限に余裕があったのか1999年3月15日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」等で使用されたがキハ40系に置き換えられ、1999年12月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のままシャッター式である。テールライトは当次車では新製時より外ばめ式である。正面窓上の水切りは原形のままであるが、助手席側の通風口は撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が撤去されている。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時に埋められている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、前後位ともデッキ上の通風器が冷房化後も残存している。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは複線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。後位側に4VK冷房発電ユニットを装備している。


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