キハ28 452 → キハ28 2452



1966年4月22日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で函館運転所へ配置された。同一ロット450〜453のうち、当車のみ函館へ配置された。函館へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後1966年9月15日付で青森へ正式配置された。兄弟の450〜452共に青森への正式配置である。青森では急行「しらゆき」をはじめ、東北・奥羽本線の幹線急行で使用された。1973年頃より急行「しらゆき」の冷房化が行われることになり、1972年9月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2452へ改番された。そして1973年10月改正で青森のキハ58系は秋田及び盛岡へ集約され、当車は1973年10月1日付で秋田へ転出した。秋田では急行「しらゆき」の指定席で優先的に使用された。「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は廃止となり秋田のキハ58系は大量に転出するが、当車は残った急行「むつ」用として引き続き秋田に残留した。しかし「60-3改正」で急行「むつ」が特急格上げされると余剰となり、1985年3月16日付で山形へ転出した。山形では初期車に代わり急行「月山」「もがみ」等で活躍した。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は復活した急行「よねしろ」用となり、1986年10月29日付で秋田へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き秋田配置で急行「よねしろ」を中心に使用されたが、急行「よねしろ」のアコモ改造を行うことになった際に当車はその対象から外れたが、引き続き秋田に残留し奥羽本線田沢湖線・男鹿線の普通列車で使用された。1989年10月度に機関が新潟製DMF13HZへ換装され、1993年前後には塗装も「秋田色」へ変更された。しかし1993年より秋田地区に701系電車が投入されると50系客車列車のみならず架線下気動車列車も電車化されて当車は余剰となり、1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、秋田時代に土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のままシャッター式である。テールライトは当次車では新製時より外ばめ式である。正面窓上の水切りは原形のままであるが、助手席側の通風口は撤去されている。当車は秋田色の塗り分けに特徴があり、正面の冷房用KE53C栓納めが、通常の車体色のアイボリーではなく帯色のオレンジ色で塗られていた。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が残存している。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時に埋められている。また側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目の窓下にサボ挿しが追設されている。また当車の車番表記は原形のキハ28とは窓半分ずれており、サボ挿しと同様前位側から5枚目の窓下にある。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、前後位ともデッキ上の通風器が冷房化後も残存している。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。後位側に4VK冷房発電ユニットを装備している。


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