キハ28 453 → キハ28 2453 → キロ29 551



1966年4月22日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で釧路機関区へ配置された。同一ロット450〜453のうち、当車のみが釧路へ配置された。釧路へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後1966年10月3日付で米子へ正式配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1969年には需給の関係で鳥取へ転出し、その後1966年12月21日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2453へ改番された。鳥取では引き続き急行「だいせん」「白兎」「但馬」等、山陰本線の急行で長く使用された。国鉄末期の急行縮小ダイヤ改正においても引き続き鳥取に残り、急行「砂丘」「但馬」や山陰本線の快速・普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は予備車見直しで捻出されイベント列車の種車として活用されることになり、1987年10月14日付で後藤工場でお座敷気動車「ほのぼのSUN-IN」のキロ59 551へ改造され、米子へ配置となった。その後は団体列車として活躍し、1997年には組織改正で後藤総合車両所配置と名称が変わったが、実態はそのままであった。山陰本線の高速化でキハ126系が投入されキハ58系が淘汰された際に当車も老朽化を理由に運用停止し、2010年3月31日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められており、水切りも撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のステップ一体式である。2000年以降スリット式カバーへ変更されている。テールライトは原形の外ばめである。
側面は、改造により一部の窓と前位側の乗降扉が埋められている。また窓は固定式に改造されている。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原形のままである。タブレットキャッチャー及び同保護柵を付けたまま最期を迎えた。後位側には循環式汚物処理装置用の点検口が設置されている。
屋根上は、後位側の冷房が1つ撤去され、冷房準備車に似た蓋がしてある。また換気扇が増設されている。その他オリジナルの通風器は全て撤去されている。
床下機器はほぼ原形であるが、ジョイフルトレインとして各地へ入線することから、汚物処理装置が取り付けられている。


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