キハ28 457 → キハ28 2457



1966年5月30日新潟鐵工製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で新潟運転所に新製配置された。同一ロット456・457両車とも新潟へ配置された。新潟へは中部山岳夏季輸送及び新製後の仮配置であり、10月改正直前の9月28日付で本来の美濃太田へ配置されている。美濃太田では急行「のりくら」を始めとした高山本線の急行を中心に、名古屋起点の急行で活躍した。1971年8月10日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2457へ改番されている。冷房化直後には名古屋との間で冷房車に関する車両交換があり、当車は1971年度末までに名古屋へ転出している。名古屋では引き続き急行「のりくら」の他、急行「紀州」「きそ」等、名古屋を起点とする急行で活躍した。1976年10月には名古屋と美濃太田の間で車両交換があり、当車は1976年10月1日付で美濃太田へ戻った。その後も長く美濃太田に在籍し、国鉄末期には急行「のりくら」の運用が移管されると高山本線の普通列車のみの運用となり、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き高山本線の普通列車で活躍したが、1989年3月にキハ11が投入されると武豊線の普通列車用に1989年3月9日付で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍したが、1990年3月にキハ85系が投入され「のりくら」が全廃された以降は武豊線の普通列車や快速「みえ」の増結等で活躍した。1992年より武豊線のワンマン化のため名古屋のキハ58系と美濃太田のキハ48が交換されることになり、当車は1992年10月12日付で美濃太田へ転出した。以降高山本線の普通列車で活躍した。しかし1999年のキハ75・キハ11の増備によるキハ58系全廃により余剰となり、1999年10月12日付で廃車となった。

前面は、後期車であり前面補強が未施工である。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、新製時より外ばめ式である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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