キハ28 465 → キハ28 2465



1966年6月23日新潟鐵工製の第7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット464〜467全車が千葉へ配置された。千葉へは房総地区夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後には兄弟共に米子に正式配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」「たんべ」等で使用され、1973年4月26日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2465へ改番された。その後も国鉄末期まで米子で活躍したが、「60-3改正」で山陰本線西部の急行の整理や他の急行の減車により余剰気味となり、1985年12月13日付で豊岡へ転出した。豊岡では急行「丹後」「丹波」「但馬」のほか急行「だいせん」の付属編成で使用された。国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」「丹波」は廃止されたが引き続き残った急行や普通列車用として豊岡に残留し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は引き続き豊岡配置で急行「丹後」「但馬」で使用された。1993年3月には豊岡の急行型配置は福知山へ集約され福知山配置となったが、最期は1996年3月のダイヤ改正で山陰本線福知山までの電化が完成すると急行「丹後」は全廃され、1997年6月24日付で廃車となった。廃車後はタイへ譲渡された。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。正面窓上の水切り・通風口は原形のまま残存している。
側面はほぼ原形である。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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