キハ28 466 → キハ28 2466



1966年6月23日新潟鐵工製の第7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット464〜467全車が千葉へ配置された。千葉へは房総地区夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後には同一ロット全車揃って米子に正式配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。米子地区では比較的晩年の1973年3月13日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2466へ改番された。冷房化されて間もない1974年度には需給の関係で鳥取へ転属し、引き続き山陰本線の急行で長く使用された。国鉄末期の急行縮小ダイヤ改正においても引き続き鳥取に残り、急行「砂丘」「但馬」や山陰本線の快速・普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き前記急行や普通・快速列車で活躍したが、1993年頃には急行「砂丘」のグレードアップ化によりこれには使用されなくなり、また1996年には「但馬」も廃止され、主にローカル運用に使用された。1997年3月改正では米子と鳥取の間で運用移管等があり、当車は3月22日付で後藤へ転属した。2001年には更に需給の関係や車両の検査期限の関係から6月30日付で再び鳥取へ転属した。しかし2004年3月のダイヤ改正でローカル運用がすべてキハ40系及びキハ126系へ移管されキハ58系は余剰となってしまう。他の仲間は廃車となるが同時期に越美北線で水害が発生し、線路が分断された関係で車両が不足、ピンチヒッターとして使用されることとなり2004年8月24日付で越前大野鉄道部へ転属した。越美北線では鳥取時代の急行色のまま使用され、注目された。越美北線の復旧は進み、2007年6月30日から全線で運転を再開し当車は役目を終えた。その後、急行色で原形に近いことから臨時列車や団体列車で使用された後、2008年11月17日付で福井鉄道部にて廃車となった。

前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められ、水切りも撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは当次車標準のシャッター付きで落成していたが、延命工事時に手作りのスリット状へ改造された。これはオリジナルのスリット式とは形状が異なる。テールライトは新製時から外ばめである。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓上部にも水切りは無い。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原形のままである。山陰地区のキハ28は汚物処理装置が取り付けられたため、側面に点検蓋が設置されている。
屋根上は延命工事時に全ての通風器が撤去されている。延命工事の際、雨どいが埋め込み式に更新されている。尚前位側から2個目のクーラーのみ、ルーバーがメッシュタイプのAU13を取り付けている。
床下は、油タンクが角型のものに交換されているが、水タンクは原形の鋼製のままというアンバランスな形態である。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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