キハ28 467 → キハ28 2467



1966年6月23日新潟鐵工製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット464〜467全車が千葉へ配置された。千葉へは房総地区夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後には兄弟共に米子に正式配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」「たんべ」等で使用され、1970年6月12日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2467へ改番された。その後も国鉄末期まで米子で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」が廃止され、当車1986年11月1日付で鳥取へ転属し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は鳥取で急行「砂丘」「但馬」の他山陰本線の快速・普通で使用され、1993年の急行「砂丘」のアコモ改造専用車化、1996年の急行「但馬」廃止後は主にローカル輸送で活躍した。1990年代後半には米子へのキハ58系が復活し鳥取と分担するようになり、当車は1996年3月16日付で米子へ転属した。その後1997年には組織改正で後藤所属と名称が変わった。また2000年7月18日付で汚物処理装置の取り付けも行った。しかし後藤配置車は2001年7月7日のダイヤ改正でキハ126系に置き換えられ、その後は予備車や波動用として残っていたが、老朽化のため当車は2004年3月19日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。正面窓上の通風口が撤去され、水切りは正面窓の直上のみ撤去されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは原形のシャッター式であったが、2000年以降スリット式改造された。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期タイプのまま残っていた。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。汚物処理装置が取り付けられた際に、便所側面に点検蓋が設置されている。
屋根上は、全ての通風器がガーランドベンチレーターに交換されている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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