キハ28 475 → キハ28 2475



1966年6月11日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で高松運転所に新製配置された。同一ロット473〜477のうち、475〜477が高松へ配置されている。高松では四国全域の急行で活躍し、1971年7月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2475へ改番されている。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降大半のキハ28は徳島へ転出したが、当車は引き続き高松で予讃本線・土讃本線系統の急行で使用された。しかし次第に急行の減車が行われると余剰が発生し、当車は波動用に改造されることとなり1985年1月24日付で回転クロスシートに改造され、団体用・波動輸送用専用車となり塗装も変更された。以降団体列車や急行の増結等で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は新たな波動輸送用車である「レインボー」「旅立ち」が登場すると回転クロスシートの当車は見劣りするため一般車に格下げされることになり、1988年9月9日付で四国色へ変更され、他の回転クロスシート車に混じって急行で使用された。しかし1989年7月11日のダイヤ改正で急行「いよ」が廃止されると用途を失い、1989年7月19日付で松山へ転属し、主に普通列車で使用されるようになった。しかし1990年11月21日のダイヤ改正で予讃線松山付近の電化が行われると余剰となり、同日付で高知へ転属した。高知では土讃線の普通列車で主に使用されたが、1992年3月改正で徳島への1000形増備及び近郊化改造車を巡る車両交換があり、当車は1992年3月14日付で松山へ転属した。しかし松山では1992年7月23日の予讃線電化延伸に伴うダイヤ改正で早くも余剰となり、1992年9月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型である。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは新製時より外ばめ式である。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は国鉄末期まで高松へ配置されていたので汚物処理装置を取り付けており、便所側面に点検蓋が取り付けられている。
屋根上は、6-5次車以降のデッキ上通風器が冷房化以降も残存している。
床下は、床下の水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。当車は汚物処理装置を装備している。当車は波動用に改造された際にサービス電源の増強が行われ、2位側乗務員室床下に、4次車までの初期車に準じ発電動機箱が設けられている。


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