キハ28 477 → キハ28 2477



1966年6月11日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で高松運転所に新製配置された。同一ロット473〜477のうち、475〜477が高松へ配置されている。高松では四国全域の急行で使用された。1970年2月19日付に冷房化及び4VK電源装置取り付けで2477へ改番された。1970年以降四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降高松運転所が手狭になってきたことから大半のキハ28は徳島へ転出し、当車も1972年度中に徳島へ転出した。以降は主に急行「阿波」「むろと」「よしの川」で活躍し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、徳島へも余剰のキハ65が転入してきたことから1988年5月2日付けで高知へ転出し普通列車で使用されるようになった。そして1989年3月23日付で四国色へ変更され、1990年9月2日付で近郊化改造された。その後も高知では土讃本線の普通列車でJR四国のキハ58系末期まで使用された。そして2006年以降キハ58系置き換えのため1500形が投入されると1000形が高知へ転入しはじめ、玉突きで当車は余剰となり2006年9月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強されておらず、またワイパーもWP35のままですっきりした顔立ちである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型である。タイフォンカバーはスリット状カバーへ改造されている。テールライトは当次車では新製時より外ばめ式である。正面窓上の水切り・通風口は撤去されており、晩年の高知地区標準形態である。
側面は、近郊化改造が施工されているので、便所・洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、すべての通風器が撤去されている。
床下では、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。そして水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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