キハ28 479 → キハ28 2479



1966年6月18日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット478〜481のうち、479〜481が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、1970年6月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2479へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月19日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」等で主に国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で最後まで残っていた急行「だいせん」が廃止されると主に山陰本線快速・普通列車で使用されるようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は米子のキハ58系運用を鳥取へ統合する動きから、1988年3月13日付で鳥取へ転出した。鳥取では急行「砂丘」「但馬」の他山陰本線の快速・普通で使用され、1993年の急行「砂丘」のアコモ改造専用車化、1996年の急行「但馬」廃止後は主にローカル輸送で活躍した。しかし2000年以降は後藤へのキハ126系投入や広島・金沢から検査期限に余裕のある車両が転入したことにより検査期限切れと共に使用停止となり、2003年6月25日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。正面窓上の通風口は晩年撤去されているが、水切りは残っている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器がガーランドベンチレーターに交換されている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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