キハ28 480 → キハ28 2480



1966年6月18日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット478〜481のうち、479〜481が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、千葉地区では早期の1969年6月20日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2480へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月19日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」等で主に国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で最後まで残っていた急行「だいせん」が廃止されると余剰となり他区の老朽車置き換えに活用されることになり、1986年10月31日付で亀山へ転出した。亀山では関西本線・片町線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は、片町線の電化後は主に関西本線のみで使用され、1990年には関西本線がワンマン化されることになり、当車も1990年2月6日付でワンマン化及び近郊化改造が施工された。しかし関西本線でのワンマン運用は長くなく、1994年12月のダイヤ改正で関西本線はキハ120化され余剰となった。しかし当車は比較的車齢も若いことから津山へ転属し、岡山を中心に普通列車や時折波動輸送用で使用された。岡山ではワンマン機器の取り外しが行われたが室内は近郊化改造車のままであった。津山鉄道部は1999年の組織改正で再び岡山気動車区へ戻ったが運用の実態は変わらず引き続き予備車的な存在で使用されたが、老朽化とキハ40系にも余裕が出てきたため2005年3月18日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。正面窓上の通風口は晩年撤去されており、水切りも正面窓上の部分のみ撤去されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。当車は冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期タイプのまま残っている。放送ジャンパは、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、冷房脇の通風器が原形のまま残されている。デッキ上の通風器は前後位とも撤去されている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。
なお当車は妻面に増設された冷房用配電盤の位置が低くなっており、おそらく初期の冷房改造車であることに起因するものと思われる。


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