キハ28 481 → キハ28 2481



1966年6月18日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット478〜481のうち、479〜481が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、1970年4月21日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2481へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月19日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」等で主に国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で最後まで残っていた急行「だいせん」が廃止されると主に山陰本線快速・普通列車で使用されるようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は米子のキハ58系運用を鳥取へ統合する動きから、1988年3月13日付で鳥取へ転出した。鳥取では急行「砂丘」「但馬」の他山陰本線の快速・普通で使用され、1993年の急行「砂丘」のアコモ改造専用車化、1996年の急行「但馬」廃止後は主にローカル輸送で活躍し、1999年3月31日付で車両延命工事も施工され汚物処理装置も取り付けられた。しかし2004年3月のダイヤ改正でローカル運用がすべてキハ40系及びキハ126系へ移管されキハ58系は余剰となり、当車は2005年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。正面窓上の通風口・水切りは晩年撤去されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。当車は米子転入時は冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期改造車の形態のままであったが、1980年代に通常の位置へ移設された。しかし元の位置にあった取り付け座が残っている。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。汚物処理装置が取り付けられた際に、便所側面に点検蓋が設置されている。
屋根上は延命工事時に全ての通風器が撤去されている。延命工事の際、雨どいが埋め込み式に更新されている。尚前位側から2個目と再後位のクーラーのみ、ルーバーがメッシュタイプのAU13を取り付けている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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