キハ28 482 → キハ28 2482



1966年6月24日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット482〜485全車が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、キハ58系では早期の1969年6月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2482へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月19日付で浜田へ転出した。浜田では急行「だいせん」「石見」等で主に国鉄末期まで活躍したが、国鉄末期の「60-3改正」で急行「石見」等の山陰西部の急行が大幅整理され浜田区の配置も無くなったことから1985年3月14日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」等で使用されたが、「61-11改正」で急行「だいせん」が廃止されると主に山陰本線快速・普通列車で使用されるようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は米子のキハ58系運用を鳥取へ統合する動きから、1988年3月13日付で鳥取へ転出したが、1990年以降客車列車を置き換えるためキハ58系の普通列車運用が復活し、1990年3月10日付で米子へ転出した。以降米子を中心に山陰本線の快速・普通列車で使用され、1997年には組織改正で後藤所属と名称が変わったが、後藤配置車は2001年7月7日のダイヤ改正でキハ126系に置き換えられ、2002年6月17日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。正面窓上の通風口・水切りは晩年撤去されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。当車は米子転入時は冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期改造車の形態のままであったが、1980年代に通常の位置へ移設された。しかし元の位置にあった取り付け座が残っている。放送ジャンパは、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っているが取り付け部に補強がされている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器がガーランドベンチレーターに交換されている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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