キハ28 483 → キハ28 2483



1966年6月24日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット482〜485全車が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、1970年5月27日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2483へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月15日付で広島へ転出した。広島では残っていたキハ26を置き換え、急行「ちどり」「たいしゃく」等の芸備線急行で長く活躍した。この状態は長く続き、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も広島配置で急行「ちどり・たいしゃく・みよし」で色を変えながら活躍し、1992年3月23日付で緑ベースの広島急行色Uに、そして1997年頃に現行の広島急行色Vに変更された。2001年頃に編成両数減により余剰となり、米子地区で検査期限切れの車両と交代すべく、2001年1月14日付で後藤へ転出した。そして更に後藤へのキハ126系投入により2001年7月9日付で鳥取へ転出した。鳥取では山陰本線の快速・普通列車で活躍したが、2004年3月のダイヤ改正でローカル運用がすべてキハ40系及びキハ126系へ移管されキハ58系は余剰となり、当車は2005年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50へ更新されているが、運転台側正面窓下手すりは原形のままであり、米子地区生え抜き車とは区別が容易である。正面窓上の通風口は撤去されたが、水切りは残存している。制御ジャンパ受栓及は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパは、広島時代にタイフォンとテールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されていたが、広島時代に撤去されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターへ交換されている。また後位側デッキの通風器が残存している。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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