キハ28 484 → キハ28 2484


2002年頃の姿

1966年6月24日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット482〜485全車が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、1970年6月19日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2484へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月15日付で広島へ転出した。広島では残っていたキハ26を置き換え、急行「ちどり」「たいしゃく」等の芸備線急行で長く活躍した。この状態は長く続き、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も広島配置で急行「ちどり・たいしゃく・みよし」で色を変えながら活躍し、1993年3月27日付で緑ベースの広島急行色Uに、そして1997年頃に現行の広島急行色Vに変更された。1999年頃に編成両数減により余剰となり、山口の老朽車を置き換えるために1999年3月13日付で転属した。山口では普通列車の他、この頃より運転開始した快速「北長門」で使用された。
そのため黄色の広島普通色にはならず、広島急行色のまま活躍した。 その後2002年頃までに広島普通色へ塗り替えられている模様である。しかし山口へはキハ40系の転入も順次行われたことから2003年5月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50へ更新されているが、運転台側正面窓下手すりは原形のままである。制御ジャンパ受栓及は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパは、広島時代にタイフォン上部に移設されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されていたが、広島時代に撤去されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターへ交換されている。また後位側デッキの通風器が残存している。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。




2000年頃の姿



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