キハ28 485 → キハ28 2485



1966年6月24日日本車輌製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット482〜485全車が千葉へ配置されている。千葉では房総半島全域の急行で使用され、キハ58系では早期の1969年6月16日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2485へ改番された。その後も長く千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月15日付で熊本へ転出した。熊本では急行「えびの」で長く活躍したが、国鉄末期になると短編成化が進み、当車は1985年以降余剰気味となりイベント用に改造されることになった。当車は1986年1月11日付で481系発生品の回転クロスシート化され、塗装も白に黄緑色の帯となり、愛称も「サウンドエクスプレスひのくに」として、団体臨時列車や、1両単位での他列車への併結で使用された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後の九州では急行のアコモ改造や、他のジョイフルトレインの拡充により持て余し気味となっていたが、快速「シーサイドライナー」で活用する事となり、1993年3月18日付で長崎へ転属した。そして転属後の1993年7月28日付でリクライニングシート化及び塗装変更され快速「シーサイドライナー」化された。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入すると用途を失うが、当車は熊本地区で急行の予備車及び波動用として生き残ることとなり、2002年3月23日付で熊本へ転属した。熊本ではあまり活躍の場はなかったが、急行増結や臨時列車、普通列車の代走で活躍したが、老朽化のため2005年3月4日付で廃車となった。

前面は、熊本時代に小倉工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形である。当車は冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期タイプのまま残っており、そのため制御用ジャンパ受栓の位置もタイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパは、原形のステップ一体型である。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。テールライトは新製時より外ばめ式である。当車は千葉時代に貫通扉にヘッドマークステイが取り付けられていたが、熊本時代に急行「えびの」用ヘッドマーク受けが取り付けられ、千葉時代のステイは撤去されている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。乗降扉戸袋点検蓋は、キハ40系に類似したユニット式に改造されている。
屋根上では、デッキを含め全ての通風器が撤去されている。
床下は、前位側には九州標準のスカートが取り付けられている。また4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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