キハ28 488 → キハ28 2488



1966年11月1日日本車輌製の7-2次車で、昭和41年度本予算で都城機関区に新製配置された。同一ロット486〜489のうち、当車のみが都城へ配置されている。都城では肥薩線の急行「えびの」を中心に活躍したが、1968年には運用移管が行われ、同じく「えびの」用ながら熊本へ転属した。肥薩線は勾配路線で編成中キハ58が多いことから冷房化が遅れ、熊本にキハ65が投入されてから冷房化されたがその際にキハ28はキハ65で置き換えられ、1972年2月14日付で長崎へ転属した。またほぼ同時に1972年2月10日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2488へ改番されている。長崎転出後は主に長崎本線系統の急行で活躍した。長崎本線の電化及びその後の特急格上げにより急行が全廃された後は大村線・松浦線の普通列車で主に使用されそのままJR九州へ継承された。JR化後長崎ではローカル運用のみであったため、1988年10月27日付で九州色へ変更されている。1992年7月15日のダイヤ改正では急行「由布」「火の山」が特急格上げされ、これに使用されていたアコモ改造車が長崎の快速「シーサイドライナー」用として大量に転入したことから、当車は玉突きで鹿児島へ転出した。鹿児島では原形シートのままで活躍し、指宿枕崎線等の非ワンマン列車で使用された。1997年には香椎線にキハ200形が投入された関係で車両交換が行われ、鹿児島にはキハ47が大量に転入したことから状態の良いキハ58系が他区へ捻出され、当車も1997年11月29日付で筑豊篠栗鉄道部へ転出した。筑豊篠栗への転出後は1998年12月26日付でワンマン化され、主に日田彦山線で使用された。筑豊・篠栗線が電化された2001年10月改正では日田彦山線が捻出されたキハ47・147で統一されることになり当車は余剰となるが、比較的車齢が若く状態も良いため2001年10月6日付で鹿児島へ転出した。以降主に指宿枕崎線・肥薩線・吉都線で使用されるたが、2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを期に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年9月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送ジャンパ受栓は、晩年の小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。当車はヘッドマークステイを装備してない。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。当次車から便所窓が横長の長方形のものに変更されている。
屋根上では、デッキを含め全ての通風器が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る