キハ28 491 → キハ28 2491



1966年11月7日日本車輌製の7-2次車で、昭和41年度本予算で高松運転所に新製配置された。同一ロット490・491両車とも高松へ配置されている。高松では四国全域の急行で活躍し、四国では晩年の1972年5月11日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2491へ改番されている。1970年以降四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降大半のキハ28は徳島へ転出したが、当車は引き続き高松で予讃本線・土讃本線系統の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行の大幅削減が行われ、当車は徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく、1986年11月4日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、瀬戸大橋開業に伴い四国各地から岡山へ向かう波動用車両の導入が行われ当車がその種車となり、1988年3月17日付で室内のリクライニングシート化及び内外装のリフレッシュが行われ、塗装も変更された。そして改造後の3月21日付で高松へ転属し、瀬戸大橋開業後は予定通り四国各地から本州へ向かう臨時列車や、急行の増結車等として使用された。しかしキハ185系や2000系の増備により同運用は特急型が行うことになり、また併結する相手の急行列車も削減されたことから早くも用途を失い、1990年11月21日のダイヤ改正で急行「よしの川」を除く急行が全廃され当車は普通列車用に高知へ転属した。高知では土讃線の普通列車で主に使用されたが、1992年3月改正で徳島への1000形増備及び近郊化改造車を巡る車両交換があり、リクライニングシートで普通列車として使用しづらい当車は真っ先に淘汰対象となり、1992年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型である。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは新製時より外ばめ式である。当次車は新製時より標識灯掛けが台座無しとなっている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は国鉄末期まで高松へ配置されていたので汚物処理装置を取り付けており、便所側面に点検蓋が取り付けられている。前位側にオーディオ室が設けられ、この部分の窓が1枚埋められている。
屋根上は、6-5次車以降のデッキ上通風器が冷房化以降も残存している。
床下は、床下の水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。当車は汚物処理装置を装備している。


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