キハ28 492 → キハ28 2492



1967年5月2日新潟鐵工製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロット492〜494全車が釧路に配置された。釧路へは夏季輸送用の仮配置で、1967年9月18日付で広島へ移動している。広島では主に九州直通急行「青島」で使用された。幹線急行であることからキハ58系では早期の1969年8月14日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2492へ改番されている。1975年には山陽新幹線開業で急行「青島」は廃止されるが、引き続き広島運転所に残留し主に芸備線系統の急行に使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後も引き続き芸備線の「ちどり・みよし・たいしゃく」で色を変えながら使用された。まず1992年度中に緑ベースの広島急行色Uに、そして1997年頃に現行の広島急行色Vに変更された。2000年12月7日には車両延命工事を受け、形態が変わっている。2002年3月改正で「ちどり」「たいしゃく」が廃止され「みよし」に統合されることになり、所用数が減ることから当車は山口鉄道部へ転出し在来車に混じって普通列車で使用されるようになった。山口配置のローカル運用は黄色ベースの広島普通色に塗装されているが、当車は広島急行色のまま一生を終えた。山口では他区から転入したキハ40系によるキハ58系の置き換えが進み、老朽化のため2007年11月9日付で廃車となった。

前面は、後期車であり前面補強が未施工のままであった。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すり位置は原形のままで、関西からの転入組との区別は容易である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区に良く見られる、タイフォンとテールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは新製時から外ばめ式である。正面標識灯掛けは当次車標準の台座無しのものである。広島地区の更新車は正面窓上の水切り及び通風口は原形のまま残存している。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原形を保っているが、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。後期車の特徴として、便所窓が横長のものになっている。また広島地区特有で、乗降ドア戸袋窓の点検蓋が埋められている。4VK搭載車は3位側側面に吸気口が設置されているが、当車は後年埋められている。
屋根上は延命工事時にすべての通風器が撤去されている。また延命工事時に雨どいが外板埋め込み式となり外から目立たなくなった。
床下機器は2000年代以降の幡生工場標準の、グレー台車になっている。油タンクは原形のままである。水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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