キハ28 494



1967年5月2日新潟鐵工製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロット492〜494全車が釧路に配置された。釧路へは夏季輸送用の仮配置で、1967年9月21日付で新潟へ正式配置されている。新潟では急行「いいで」「羽越」「うおの」「米山」等新潟を起点とする比較的平坦線の急行で活躍した。この状態は長く続き、東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で新潟担当の急行が大幅に減少したのちは、一般型気動車に混じり越後線や弥彦線の普通列車で使用されるようになった。1984年の越後線・弥彦線の電化により多くの非冷房キハ28は他区へ転出したが、当車はキハ28平窓車のラストナンバーで車齢も若いことから引き続き新潟に留まり、磐越西線等の普通列車で使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き新潟で使用されたが、1990年よりキハ110系投入に伴う車両の転配が進められ、新潟への冷房キハ28投入により当車は捻出され、予備車確保のため1991年4月15日付で一ノ関へ転出した。一ノ関では大船渡線・北上線で使用されたが、1991年10月までに両線はキハ100へ置き換えられ、当車は小牛田へ1991年11月5日付で小牛田へ転出した。小牛田では予備車的な扱いであり機関換装もされなかった。1992年頃には冷房化の試験的な改造が施されたが詳細は不明である。そして機関未換装のまま1993年5月1日付で廃車となった。

前面は、後期車であり前面補強が未施工である。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。タイフォンカバーは新潟後期タイプの、下半分メッシュ状の筒を被せた形状となっている。テールライトは新製時より外ばめ式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。デフロスタは、新潟地区標準で、左右両側に付いている。当車は当次車標準で標識灯掛けが台座無しとなっている。
側面は、1-3位側客室中央部の窓2枚に冷房試験のものと思われるルーバーが設けられているが詳細は不明である。当車は客室中央窓下にサボ挿しが追設されているが、車番表記とは窓半分ずれている。
屋根上は、雨どいが新潟地区特有の、鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下は、水タンクが撤去され冷房用の発電機もしくは熱交換器のようなものが取り付けられている。便所が撤去されたため流し管も撤去されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る