キハ28 1505 → キハ28 2505 → キロ29 506 → キハ29 506



1968年3月30日富士重工製の8-2次車で、昭和42年度第2次債務で松本運転所に新製配置された。同一ロット1505〜1508全車とも松本へ配置された。当グループは冷房化及び電源セット搭載を前提として新製され、新製直後に長野工場で冷房化された。当車は松本に配置されていた急行「アルプス」のキロ58の冷房化のための投入で、当グループの投入によりキロ58も冷房化され、当車は主に指定席車で使用された。その後1969年にキハ65が投入されると当グループの有難みは薄れたが、引き続き急行「アルプス」で活躍した。1975年には急行「アルプス」が全電車化され早くも用途を失うが、1975年3月11日付で長野へ転出し、急行「きそ」「ちくま」「越後」等で使用された。前記の急行は「53-10改正」で全廃となってしまい長野のキハ58系は大移動をするが当車は引き続き長野に留まり、飯山線の急行「野沢」で使用されるようになった。このまま国鉄末期まで使用され、「61-11改正」で急行「野沢」が廃止されると余剰となり、1986年10月23日付で山形へ転出した。山形では残存していた若番車と交代しそのままJR東日本へ継承された。JR化後は山形で主に急行「月山」で使用されたが、1988年より郡山の波動用に使用されることになり、1988年3月30日付で転出した。その後1989年3月11日付で小牛田へ転出し、水戸から転入の冷房キハ58 1038・1039と共に波動用で使用された。そしてこの3両がそのまま新しいジョイフルトレインである「グラシア」へと改造されることになり、1989年10月31日付でキロ29 506へと改造された。「グラシア」へ改造時に機関もコマツ製DMF11HZへ換装され、車体も徹底的に整備され、長く活躍した。2000年には波動用車の営業施策の変更によりグリーン車から普通車扱いになり、キハ29へ改番された。また2003年にはリニューアルが行われ、車内外の改装が行われ愛称も「こがね」と変更された。キハ58系の晩年まで活躍したが、老朽化により2011年7月11日付で廃車となった。廃車後はフィリピンへ譲渡された。

グラシア改造時に車体へ大幅に手を加えられており、前位側は種車の鋼体のままながら運転台が撤去され、のっぺらぼうな状態になっている。ほぼ固定編成を組むことからジャンパ受栓も必要最低限のもののみ残され、前位側は冷房電源用のKE7と放送用ジャンパしか存在しない。また貫通路は広げられておりオリジナルのものではない。
側面は、前位側の乗降ドアが撤去されおり、2位側に大型の窓が設けられている。その他客室窓も一部埋められている。客室窓は基本的に固定式へと変更されたが、1-3位側の2枚のみ非常用に開閉窓のまま残されている。便所・洗面所は存在するが窓は閉塞されている。便所側臭気抜き窓もなくなり、換気扇のルーバーへと変わっている。当車は汚物処理装置を付けているが、これの点検蓋は設けられていない。冷房発電セットは載せ替えられており、オリジナルの吸気口は埋められ存在しない。
屋根上は、一部クーラーが撤去・移設され、また前位側の通風機は運転台が無くなった分かなり前まで移動している。また車両中央付近に換気扇が設置されている。
床下は、機関がコマツ製DMF11HZへ換装されている。換装時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは、角型のものに交換されている。当グループは4VKの設置向きが他の量産冷房車と比べ逆になっているという異端グループであったが、当車は冷房発電セットが4VKから新型のものに載せ替えられているためその特徴は失われている。


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