キハ28 1509 → キハ28 2509



1968年4月12日富士重工製の8-2次車で、昭和42年度第2次債務で長野運転所に新製配置された。同一ロット1509・1510全車とも長野へ配置された。当グループは冷房化及び電源セット搭載を前提として新製され、新製直後に長野工場で冷房化された。当車は長野に配置されていたキロ58の冷房化のための投入で、当グループの投入によりキロ58も冷房化された。長野ではキロ58とセットで急行「きそ」「ちくま」「越後」等で使用された。その後1970年にキハ65が投入されると当グループの有難みは薄れたが、引き続き前記の幹線急行で活躍した。前記の急行は「53-10改正」で全廃となってしまい長野のキハ58系は大移動をするが当車は引き続き長野に留まり、飯山線の急行「野沢」で使用されるようになった。このまま国鉄末期まで使用され、「61-11改正」で急行「野沢」が廃止されると余剰となり、1986年10月23日付で秋田へ転出した。秋田では復活した急行「よねしろ」で使用されるようになりそのままJR東日本へ継承された。JR化後は秋田で主に急行「よねしろ」で使用されたが、1988年より盛岡のジョイフルトレインに使用されることになり、1988年6月1日付で盛岡の2333と交代し転出した。そして形式番号はそのまま「エーデルワイス」へ改造された。改造後は盛岡在籍で団体用に使用された。改造から間もない1990年4月には機関が新潟製DMF13HZへ換装された。1992年4月には塗装がアイボリーを基調としたおとなしいものに変更された。その後も団体輸送や時折臨時列車で運用されたが、老朽化のため2002年10月1日付で廃車となった。

前面は、原形の面影を残しているが助手席側の窓が大窓化されている。中間車として使用する前提なのか、前面補強は施工されていない。ワイパーも原形のWP35のままである。制御用ジャンパ受栓は原形の、タイフォン下部に左右寄り添う位置へ設置されており、受栓自体は耐雪仕様のヒーター入りが取り付けられている。放送ジャンパ受栓は、原形のステップ下部へ設置されているが、長野時代のケーブル掛けが残っている。タイフォンカバーは原形のシャッター式のままである。正面窓上の通風口は残存している。
側面は、前位側の乗降ドアが埋められ客室へ改造されている。そのため前位側側面に大窓が設けられている。当グループは4位側に冷房発電セットの吸気口が設けられていたが、冷房発電セットが更新された際に吸気口も撤去されている。便所は撤去されており、当該部分の窓も埋められているが洗面所側のみは窓が残置されている。
屋根上はデッキ上の通風器が撤去され、前位寄りのクーラーが前に移設されている。なお1-3位側面の屋根上に12系のようにクーラー脇に箱型通風器が取り付けられており、キハ58系では唯一の形態である。
床下は、新潟製DMF13HZへ換装されている。油タンクは、原形のままである。4VK発電セットは撤去され、新型の発電セットへ更新されている。便所が撤去されているので、床下の水タンクも撤去されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る