キハ28 1004 → キハ28 3004



1968年5月22日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット1001〜1004全車が千葉へ配置された。千葉へは海水浴臨時列車など夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送の終了後8月26日付で1002〜1004が和歌山へ、1001が美濃太田へ正式配置されている。和歌山では急行「きのくに」を中心として紀勢本線の急行で使用された。キハ58系では早期の1969年12月24日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 3004へ改番された。引き続き和歌山配置で急行「きのくに」で長く活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車は1985年3月21日付で豊岡へ転属した。豊岡では急行「丹後」「丹波」「但馬」のほか「だいせん」の増結車で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」と「丹波」が廃止された後は「但馬」「丹後」及び普通列車で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き同じ用途で使用されたが、1990年より普通列車の運用は福知山へ移管され、当車は1990年3月までに福知山へ転属した。1991年より山陰本線の普通列車はワンマン化されることになり、状態の良いモデルチェンジ車がワンマン普通列車の種車に抜擢され、当車も1991年2月6日付でワンマン化・近郊化改造された。その後は山陰本線園部口や舞鶴線の普通列車で使用され、1996年3月に山陰本線が電化された後は主に舞鶴線の普通列車で使用され、1999年6月25日付で車両延命工事も受けた。その後舞鶴線は1999年10月2日付で電化され当車は余剰となり、同日付で小浜鉄道部に転出した。小浜では「小浜色」へ塗装変更され、小浜線の普通列車で活躍したが、2001年3月に高岡からキハ28 2346が転入すると当車は延命工事施工のモデルチェンジ車であるにも関わらず玉突きで捻出され、2001年12月26日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままである。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。正面窓上の通風口は延命工事施工時に撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が撤去されている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。当次車は4位側の側窓間へ4VKの吸気口が準備されたが、同装置の向きは設置時に左右が逆とされたので、3位側側窓下に平窓車同様の横長の吸気口が設けられている。延命工事施工時に、タブレットキャッチャー取り付け台座とタブレット保護板が撤去されている。
屋根上は、更新時に雨どいが外板と一体化した張り上げ屋根に改造されている。同時にデッキ上の通風器も撤去されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。油タンクは角型の新型に更新されている。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4VK発電セットが取り付けられている。正面スカートは、帯と同じクリーム色で塗装されている。


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