キハ28 1005 → キハ28 3005



1968年5月30日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット1005〜1008全車が千葉へ配置された。千葉へは海水浴臨時列車など夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送の終了後9月13日付で1005・1006が和歌山へ、1007・1008が向日町運転所へ正式配置されている。和歌山では急行「きのくに」を中心として紀勢本線の急行で使用された。キハ58系では早期の1969年11月20日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 3005へ改番された。引き続き和歌山配置で急行「きのくに」で長く活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車は1985年3月16日付で豊岡へ転属した。豊岡では急行「丹後」「丹波」「但馬」のほか「だいせん」の増結車で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」と「丹波」が廃止された後は「但馬」「丹後」及び普通列車で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」「但馬」および普通列車で活躍した。1993年には豊岡の急行型気動車配置は福知山へ統合され、当車も福知山へ転属した。引き続き急行「丹後」「但馬」で活躍した。1996年3月のダイヤ改正で山陰本線が電化され急行「丹後」は廃止されるが、当車は引き続き福知山地区の波動輸送用として在籍し、1999年3月31日付で車両延命工事を施工した。しかし1999年10月のダイヤ改正で舞鶴線が電化されると福知山の気動車配置は無くなり書類上は1999年10月2日付で豊岡へ転属するが、既に用途を失っており2000年3月31日付で廃車となった。当車は延命工事施工後1年経たずして用途を失っており、なぜこのタイミングで延命されたのか疑問が残る。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。正面窓上の通風口は延命工事施工時に撤去されている。
側面では、延命工事施工時に、タブレットキャッチャー取り付け台座とタブレット保護板が撤去されている。当次車は4位側の側窓間へ4VKの吸気口が準備されたが、同装置の向きは設置時に左右が逆とされたので、3位側側窓下に平窓車同様の横長の吸気口が設けられている。
屋根上は、更新時に雨どいが外板と一体化した張り上げ屋根に改造されている。同時にデッキ上の通風器も撤去されている。
床下では、水タンクが新型のFRP製に交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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