キハ28 1011 → キハ28 3011



1968年8月23日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で高松運転所に新製配置された。同一ロット1011〜1013全車が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用され、新製後間もない1969年4月5日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い3011へ改番された。引き続き四国全域の急行で活躍し、1972年以降徳島地区で運用される車両は徳島区へ分散配置されるようになり高松のキハ28の大半は徳島へ転出したが、当車は引き続き国鉄末期まで高松に配置されていた。しかし国鉄最後の「61-11改正」で高松のキハ28一般車の運用は無くなり、1986年11月3日付で徳島へ転出した。徳島では車齢の高いキハ28に代わり急行「阿波」の他高徳本線を中心とする普通列車で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後も引き続き同じ用途で使用されたが、瀬戸大橋線開業の1988年4月のダイヤ改正で高知へ転属し、急行「土佐」で使用された。その後1990年11月ダイヤ改正で急行「土佐」が廃止されると高知配置のまま土讃線の普通列車で使用されるようになった。1992年3月のダイヤ改正では高知へ1000型の増備が行われ当車は捻出され、1992年3月14日付で松山へ転出した。しかし転出後間もない1992年7月23日には予讃線電化延伸により捻出され、7月24日付で徳島へ転出した。徳島では近郊化改造されることなく急行「よしの川」及び普通列車の予備車として活躍した。しかし1996年3月ダイヤ改正で徳島本線高速化により特急「剣山」が設定された際に余剰となり、1997年12月19日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すりは原形である。正面窓上の通風口は残存している。制御ジャンパ受栓は多度津工場標準で、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は新製時のままステップ下部へ設置されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。
側面では、400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。当次車は4位側の側窓間へ4VKの吸気口が準備されたが、同装置の向きは設置時に左右が逆とされたので、3位側側窓下に平窓車同様の横長の吸気口が設けられている。当車はタブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上は、標準的なモデルチェンジ車の冷房車の形態である。
床下では、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。3000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側デッキ床下に汚物処理装置が取り付けられている。当車はスカート下のスノープロウが撤去されている。


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