キハ28 1012 → キハ28 3012



1968年8月23日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で高松運転所に新製配置された。同一ロット1011〜1013全車が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用され、新製後間もない1969年4月7日付にて冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い3012へ改番された。引き続き四国全域の急行で活躍し、1972年以降徳島地区で運用される車両は徳島区へ分散配置されるようになり高松のキハ28の大半は徳島へ転出したが、当車は引き続き国鉄末期まで高松に配置されていた。しかし国鉄最後の「61-11改正」で高松のキハ28一般車の運用は無くなり、1986年10月26日付で徳島へ転出した。徳島では車齢の高いキハ28に代わり急行「阿波」の他高徳本線を中心とする普通列車で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後も引き続き同じ用途で使用されたが、瀬戸大橋線開業の1988年4月のダイヤ改正で再び高松へ戻り、再び急行「いよ」で使用された。しかしキハ185系増備に伴う1989年7月のダイヤ改正で急行は縮小され、以降各地を転々とし、1989年7月22日付で松山へ、そして1990年11月21日付で高知へ転属した。この間1990年11月13日付で近郊化改造されている。以降高知配置で土讃線の普通列車で長く使用されたが、1993年に1000形増備により余剰となり、モデルチェンジ車ながら早々に1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すりは原形である。正面窓上の通風口は残存している。制御ジャンパ受栓は多度津工場標準で、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は新製時のままステップ下部へ設置されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。
側面では、近郊化改造が施工されているので、便所・洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。汚物処理タンクが設置されていたので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。当次車は4位側の側窓間へ4VKの吸気口が準備されたが、同装置の向きは設置時に左右が逆とされたので、3位側側窓下に平窓車同様の横長の吸気口が設けられている。当車はタブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上は、標準的なモデルチェンジ車の冷房車の形態である。
床下では、3000番台であり4VK発電セットを取り付けている。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。そして水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。当車はスカート下のスノープロウが撤去されている。


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