キハ28 1015 → キハ28 3015



1968年11月30日富士重工製の8-4次車で、昭和43年度民有債で鹿児島運転所に新製配置された。同一ロット1014〜1016のうち、当車のみが鹿児島へ配置された。鹿児島では鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用され、急行「フェニックス」「日南」「かいもん」等の名門急行で活躍した。当車はキハ58系では早期の1969年4月14日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い3015へ改番されている。その後も長く鹿児島で活躍したが、「50-3改正」の際に都城へ転属し、急行「えびの」を中心に活躍するようになった。国鉄末期には急行の減車が続き余剰気味となっていたため、鹿児島で活躍していた団体専用車両「らくだ」の補充車両に抜擢され、1986年3月で鹿児島へ転属し、1986年3月6日付で「らくだ」に改造された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き「らくだ」として活躍したが、特急列車の充実によりジョイフルトレインの需要が落ちてきこと、回転クロスシートでは当時すでに見劣りがすることから一般車の近郊化改造車に格下げされることになり、1990年代中盤には塗装も九州色へ変更されている。その後1997年11月29日のダイヤ改正では香椎線にキハ200系が投入されたことにより当線のキハ40系が鹿児島へ転出し、代わりに鹿児島の近郊化改造車が日田彦山線へ投入されることになり、1997年11月29日付で筑豊篠栗へ転出した。その後は1999年より日田彦山線のワンマン化を行うことになり、1998年7月22ににはワンマン化が実施された。しかし2001年10月6日の筑豊本線・篠栗線電化による大幅な車両転配で日田彦山線はキハ147で統一されることになり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーはWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の通風口は原形のまま残されている。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、晩年の鹿児島地区標準のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状カバーを装備する。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。当次車は新製時より3位側後ろから3枚目と4枚目の窓間に4VK発電セットの吸気口が準備されていたが、当車はそれを利用しルーバーが設けられている。当車は車体側面にあった強制換気装置の吸気口が撤去されている。
屋根上は、デッキ上の通風器が撤去されている。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。また冷房化に伴い後位側に4VK発電セットが取り付けられている。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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