キハ28 1018 → キハ28 3018



1968年12月18日富士重工製の8-4次車で、昭和43年度民有債で福知山機関区に新製配置された。同一ロット1017・1018両車ともに福知山へ配置された。福知山では急行「丹波」「丹後」等、福知山周辺の急行列車で使用された。冷房化及び4VK電源セット取り付けは1971年7月20日で、3018へ改番されている。国鉄末期まで福知山配置で前述の急行に使用され、「61‐11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が廃止されると専ら急行「丹後」に使用されるようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」で使用されたが、1989年頃より普通列車用に他区から大量のキハ58が流入し、さらにその後は状態の良いモデルチェンジ車がワンマン普通列車の種車に抜擢されることになり、当車も1991年2月18日付でワンマン化・近郊化改造された。その後は山陰本線園部口や舞鶴線の普通列車で使用され、1996年3月に山陰本線が電化された後は主に舞鶴線の普通列車で使用された。しかし舞鶴線も1999年10月2日付で電化され当車は余剰となり、同日付で高岡鉄道部に転出した。高岡へは同日にキハ28 3010、3016、3018が転入し、代わりにキハ28 2120・2155が廃車となり、キハ23 520が山口へ転出した。以降氷見線・城端線の普通列車で使用開始し、当初は急行色のままであったが、2000年以降に新しく設定されたワインレッドベースの高岡色Vへ変更された。その後もモデルチェンジ車のワンマン車で比較的長く活躍したが、2004年に加古川線電化により同区のキハ40系が高岡へ転入すると余剰となり、2005年8月31日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形である。正面窓上の通風口は撤去されている。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓位置は福知山標準の、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が撤去されている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。当次車は新製時より3位側後ろから3枚目と4枚目の窓間に4VK発電セットの吸気口が準備されていたが、当車はそれを利用しルーバーが設けられている。
屋根上は、デッキ上の通風器が撤去されている。それ以外は標準的なモデルチェンジ車の冷房車の形態である。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。また冷房化に伴い後位側に4VK発電セットが取り付けられている。また便所にはカセット式汚物処理装置が取り付けられている。油タンクは新型の角形のものに交換されている。


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