キハ28 1019 → キハ28 3019



1968年12月21日日本車輌製の8-4次車で、昭和43年度民有債で福知山機関区に新製配置された。同一ロット1019〜1021のうち、1019・1020が福知山へ配置された。福知山では急行「丹波」「丹後」等、福知山周辺の急行列車で使用された。1972年3月改正では福知山の急行型気動車の一部が豊岡へ分散配置となり、当車も豊岡へ転出した。引き続き急行「丹波」「丹後」「但馬」や急行「だいせん」の付属編成で活躍した。同区のモデルチェンジ車は比較的早期に冷房化される中当車は非冷房のまま長く残っていたが、1976年3月26日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、3019へ改番された。国鉄末期まで豊岡配置で前述の急行に使用され、「61‐11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が廃止されると専ら急行「丹後」に使用されるようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」「但馬」および普通列車で活躍した。1993年には豊岡の急行型気動車配置は福知山へ統合され、当車も福知山へ転属した。引き続き急行「丹後」「但馬」で活躍した。1996年3月のダイヤ改正で山陰本線が電化され急行「丹後」は廃止されるが、当車は引き続き福知山地区の波動輸送用として在籍し、1999年3月31日付で車両延命工事を施工した。しかし1999年10月のダイヤ改正で舞鶴線が電化されると福知山の気動車配置は無くなり書類上は1999年10月2日付で豊岡へ転属するが、既に用途を失っており2000年3月31日付で廃車となった。当車は延命工事施工後1年経たずして用途を失っており、なぜこのタイミングで延命されたのか疑問が残る。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、豊岡配置ながら関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。正面窓上の通風口は延命工事施工時に撤去されている。
側面では、延命工事施工時に、タブレットキャッチャー取り付け台座とタブレット保護板が撤去されている。当次車は新製時より3位側後ろから3枚目と4枚目の窓間に4VK発電セットの吸気口が準備されていたが、当車はそれを利用しルーバーが設けられている。
屋根上は、更新時に雨どいが外板と一体化した張り上げ屋根に改造されている。同時にデッキ上の通風器も撤去されている。
床下では、水タンクが新型のFRP製に交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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