キハ28 1021 → キハ28 3021



1968年12月21日日本車輌製の8-4次車で、昭和43年度民有債で奈良運転所に新製配置された。同一ロット1019〜1021のうち、当車のみが奈良へ配置された。奈良では、奈良線・和歌山線経由の急行「しらはま」等で使用された。関西本線全線電化の1973年には奈良区の急行型配置は和歌山へ集約されることになり、1973年10月1日付で和歌山へ転出した。以降急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行列車で活躍した。和歌山転出直後の1973年12月26日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 3021へ改番されている。引き続き和歌山配置で「きのくに」を中心に活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車は1985年3月16日付で豊岡へ転属した。豊岡では急行「丹後」「丹波」「但馬」のほか「だいせん」の増結車で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」と「丹波」が廃止された後は「但馬」「丹後」及び普通列車で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き同じ用途で使用されたが、1989年3月のダイヤ改正で豊岡の運用の一部が福知山へ移管され、同月19日付で福知山へ転属した。以降も急行用として「丹後」で長く活躍したが、1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車を始め福知山の急行用キハ58系は用途を失う。その後は波動用車として引き続き福知山に残り、臨時列車等で使用された。1999年10月2日の舞鶴線電化で福知山への気動車配置が廃止されることとなり、同日付で全車豊岡へ移動した。前後し波動用として残っていた車両の整理も行われるも、当車は引き続き波動用、特に冬季のカニ輸送臨として残存し、2000年夏頃には新たに設定される臨時列車「いさり火」号の専用車両となり、ラッピングが施された。しかしこの「いさり火」号の運行も2002年で終了し、老朽化のため2003年1月8日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の通風口は残存している。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送用ジャンパ受栓位置は関西標準の、タイフォンとテールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、1000番台原形のスリット式カバーである。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。当次車は新製時より3位側後ろから3枚目と4枚目の窓間に4VK発電セットの吸気口が準備されていたが、当車はそれを利用しルーバーが設けられている。
屋根上は、冷房化以降ほとんど手が加えられておらず、標準的なモデルチェンジ車の冷房車の形態である。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。また冷房化に伴い後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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