キハ28 1024 → キハ28 3024



1968年12月25日日本車輌製の8-4次車で、昭和43年度民有債で大分機関区に新製配置された。同一ロット1022〜1024のうち、当車のみが大分へ配置された。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で使用され、1969年1月には早くも冷房化されている。そのため冷房準備車の姿で活躍したのはわずか1か月程度であった。その後も国鉄末期まで大分配置で急行「由布」「火の山」をメインに使用されたが、「60-3改正」以降は指定席車へキロ改造のキハ28 5200番台が投入されたり急行列車の減車が進んだこともありキハ28は余剰気味となり、当車は1986年8月11日付で長崎へ転属した。長崎ではそれまで配置されていた若番車に代わり長崎本線・大村線・松浦線で活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年4月1日で松浦線が第三セクター化されたものの当車は引き続き長崎配置で、新設された「シーサイドライナー」をはじめ長崎本線・大村線で活躍した。1988年4月28日には「九州色」へ塗り替えられている。1992年7月に、急行「由布」「火の山」の特急格上げにより、同急行に使用されていたアコモ改造車が快速「シーサイドライナー」用に大量に長崎へ転入し、長崎のメンバーは大幅な入れ替えが行われたが、当車はモデルチェンジ車で状態も良いことから引き続き長崎で使用されることになり、1992年9月9日付で快速「シーサイドライナー」用のアコモ改造を受け、塗装も濃紺の専用塗装となった。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。その後2000年にはミレニアム記念で国鉄急行色へ復元され、2000年10月18日付で塗装変更された。しかし2001年10月6日の筑豊本線・篠栗線電化によりキハ66系とキハ200系が長崎へ転入すると余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強されていない。ワイパーはWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の通風口は原形のまま残されている。正面中ほどの小手すりは、「シーサイドライナー色」へ変更された際にロゴと干渉するため、位置が下げられている。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓位置は小倉工場標準の、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式ながら下部の形状や開口部が原形と異なる九州独特のものを取り付けている。
側面はほぼ原形であるが、タブレットキャッチャー撤去時にタブレット保護板も撤去されている。当次車は新製時より3位側後ろから3枚目と4枚目の窓間に4VK発電セットの吸気口が準備されていたが、当車はそれを利用しルーバーが設けられている。乗降扉戸袋点検蓋はキハ40系に準じたユニット式に更新されている。また当車は車体側面にあった強制換気装置の吸気口が撤去されている。
屋根上は、デッキ上の通風器が撤去されている。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。また冷房化に伴い後位側に4VK発電セットが取り付けられている。当車は九州生え抜き車ながら、スカート下部のスノープロウが残っている。また当車はスカートにキハ65に準じた足掛けが増設されており、珍しい。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る