キハ56 5



1961年3月31日新潟鐵工製の1-1次車で、昭和35年度民有債で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット4・5両車とも苗穂へ配置された。苗穂では急行「狩勝」で使用開始した。「36-10改正」では車両増備により急行の新設が相次ぎ活躍の場を広げていった。1963年には長大編成対応の100番台が函館へ大量投入され、それまで函館に配置されていた0番台車が苗穂等へ転属するという動きが発生したが、この際に当車は0番台ながらなぜか苗穂から函館へ転属した。函館では三階建て急行「オホーツク・摩周・宗谷」で活躍したが、「39-10改正」で急行「オホーツ・摩周」が統合され特急「おおとり」へ格上げされると急行「宗谷」の単独運転となり、函館の所要数が減少したことから釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」を中心に運用されたが、1965年10月改正で需給の関係で苗穂へ転属した。苗穂では道内各地の急行で使用されたが、「47-3改正」時に、札幌への特急型気動車配置に備え急行型を他区へ分散させる動きが発生し、この際に当車は函館へ転属した。函館では急行「宗谷」の他、急行「すずらん」でも活躍した。しかし函館での活躍は短く、「47-10改正」で特急増発により急行の受け持ち変更が行われ、当車は札幌へ転属した。札幌では急行「ニセコ」「すずらん」「とうや」「ちとせ」「えりも」等道内各地の急行で活躍した。しかし札幌での活躍も長続きせず、「73-10改正」で急行「すずらん」1往復が特急「北斗」に格上げされると捻出され、苗穂へ転属した。苗穂では道内各地の急行で活躍したが、1975年には旭川との間でキハ56とキハ27の交換があり、当車は1975年7月18日付で旭川へ転出した。旭川では急行「宗谷」の付属編成や急行「狩勝」「かむい」等で活躍した。しかし1981年10月改正で列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。この頃から次第に普通列車に組み込まれることが多くなった。しかし「59-2改正」で急行の大幅な減車が行われると余剰となり、1985年5月24日付で廃車となった。

前面は、旭川工場で前面補強が施工されている。ワイパーは、WP50に改造されているが、1-1次車の手すりは短くワイパーと干渉しないのでそのままである。1-1次車はヘッドライトが中央に100ミリ寄っており、独特の風貌である。またキハ56系の1-1次車は側面の裾絞り形状も1-2次車以降と異なり、若干直線的な折れ方となっている。ステップは1-2次車までの特徴でタイフォン上部にある。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横に台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。
側面は、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。キハ56系の1-1次車は、乗務員室ドア脇の手すりが1-2次車以降と比べ下へ長い。また当車は旭川車に良く見られた、縦樋が車体外板に露出したタイプに改造されている。
屋根上では、水タンクは、北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。
床下は原形のままである。キハ56の1-1次車は、床下の消火器が台車付近に取り付けられているという特徴がある。


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