キハ56 7



1961年9月13日新潟鐵工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で函館運転所に新製配置された。同一ロット6・7両車とも函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始した。「39-10改正」で急行「オホーツ・摩周」が統合され特急「おおとり」へ格上げされると急行「宗谷」の単独運転となり、函館の所要数が減少したことから1964年10月度で旭川へ転属した。旭川では急行「宗谷」の付属編成及び急行「かむい」等で活躍したが、1965年10月のダイヤ改正で需給の関係で苗穂へ転属した。苗穂では道内各地の急行で使用されたが、「47-3改正」時に、札幌への特急型気動車配置に備え急行型を他区へ分散させる動きが発生し、この際に当車は函館へ転属した。函館では急行「宗谷」の他、急行「すずらん」でも活躍した。しかし函館での活躍は短く、「47-10改正」で特急増発により急行の受け持ち変更が行われ、当車は札幌へ転属した。札幌では急行「ニセコ」「すずらん」「とうや」「ちとせ」「えりも」等道内各地の急行で活躍した。その後は1975年3月のダイヤ改正で運用移管が行われ苗穂へ転属した。苗穂では再び道内全域の急行で活躍したが、「59-2改正」で急行の削減が行われると捻出され、1984年3月21日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「まりも」「ノサップ」「しれとこ」等で活躍したが。「60-3改正」で急行「狩勝」「まりも」が削減されると余剰となり、1985年6月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短い手すりに改造された、苗穂工場初期の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン右下にステップ一体型の受座を設置し、そこへ設けられている。当1-2次車まではステップがタイフォン上部に設けられている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上では、水タンクは、北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。
床下は原形のままである。


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