キハ56 10



1961年9月16日新潟鐵工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で函館運転所に新製配置された。同一ロット8〜10全車とも函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始した。「39-10改正」で急行「オホーツ・摩周」が統合され特急「おおとり」へ格上げされると急行「宗谷」の単独運転となるが、引き続き函館で急行「宗谷」「すずらん」等で活躍した。1966年10月改正では苗穂との間でキハ56と27の交換があり、当車は苗穂へ転属した。苗穂では道内各地の急行で活躍したが、1967年10月には札幌運転区の拡張により札幌へ転属した。しかし札幌での活躍は長くなく1968年には札幌へモデルチェンジ車が大量に新製配置され、当車は押し出されるように旭川へ転出した。旭川では急行「宗谷」の付属編成や急行「かむい」「ましけ」「大雪」等で活躍した。この状態は長く続いたが、1981年10月改正で列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。この頃から次第に普通列車に組み込まれることが多くなった。「60-3改正」では急行の廃止が進み当車も余剰となり、1986年3月31日付で廃車となった。

前面は、旭川工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのまま運転席側が若干位置が下がった旭川工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン右下にステップ一体型の受座を設置し、そこへ設けられている。当1-2次車まではステップがタイフォン上部に設けられている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上では、水タンクは原形のままで旭川では多く見られた形態であった。
床下は原形のままである。


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