キハ56 13



1961年9月22日新潟鐵工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で函館運転所に新製配置された。同一ロット11〜14全車が函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始した。1963年には函館に長大編成対応の100番台が新製投入され、当車は玉突きで苗穂へ転出した。苗穂では道内全域の急行で活躍したが、札幌運転区が開設されると順次運用が移管され、当車は1966年度中に札幌へ転出した。しかし1968年には札幌へモデルチェンジ車が大量に新製配置され、当車は押し出されるように旭川へ転出した。旭川では急行「宗谷」の付属編成や急行「かむい」「ましけ」「大雪」等で活躍した。この状態は長く続いたが、1981年10月改正で列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。この頃から次第に普通列車に組み込まれることが多くなった。「60-3改正」では急行の廃止が進み当車も余剰となり、1985年5月24日付で廃車となった。

前面は、1980年時点では前面補強されていない。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのままという旭川工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横に台座付きで設けられている。当1-2次車まではステップがタイフォン上部に設けられている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上では、水タンクは原形のままで旭川では多く見られた形態であった。
床下は原形のままである。


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