キハ56 16



1961年10月2日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で函館運転所に新製配置された。同一ロット15・16両車とも函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始した。1963年には函館に長大編成対応の100番台が新製投入され、当車は玉突きで苗穂へ転出した。苗穂では道内全域の急行で活躍したが、札幌運転区が開設されると順次運用が移管され、当車は1966年度中に札幌へ転出した。しかし1968年には札幌へモデルチェンジ車が大量に新製配置され、当車は押し出されるように釧路へ転出した。釧路では急行「狩勝」の他、急行「しれとこ」「ノサップ」等で活躍した。釧路では長く使用されたが、国鉄末期の急行削減により次第に普通列車へ進出したが、「61-3改正」の車両転配で旭川へ転属した。旭川では主に普通列車で使用されたが当時若番車は順次廃車の状態であり旭川転属後も長く続かず、結局JRへは継承されないまま1987年2月5日付で廃車となった。廃車後は三笠鉄道記念館で保存され、2019年4月1日現在も現存する。

前面は、釧路工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上では、水タンクは、北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。
床下は原形のままである。


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