キハ56 19 → キハ53 503



1961年10月25日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット19〜22のうち、19〜21が苗穂へ配置された。苗穂では北海道全域の急行で使用された。1967年には札幌運転区の拡充により一部運用が移管され、当車も札幌へ転出したが、「ヨンサントオ改正」に伴う受け持ち区変更により釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」の他、急行「しれとこ」「ノサップ」等で活躍した。釧路では長く使用されたが、国鉄末期の急行削減により次第に普通列車へ進出したが、「60-3改正」では急行の廃止が進み当車も余剰気味となっていたが、普通列車の短編成化のためキハ56の両運転台化改造を行うことになり、当車はその種車に選ばれ、キハ27 22の運転台を移植し1986年3月31日付でキハ53 502へ改造された。この当時地方交通線の廃止が進み、国鉄解体に向けてキハ54の新製が計画されていたことから、あくまで「つなぎ」的な存在の筈であった。しかしキハ54の新製両数は必要最小限とされたことや、他の老朽キハ22より使い勝手が良いことから重宝され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は旭川運転所配置で各線で普通列車で使用された。1991年には宗谷北線営業所が開設され、キハ53はここに集められ、主に宗谷本線の名寄以北で活躍した。しかし1993年には宗谷北線のワンマン化を行うことになりキハ54と交代し、宗谷北線営業所配置のまま1993年9月28日付で廃車となった。

前位側前面は、釧路工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去されている。
後位側前面(元キハ27 22)も元釧路配置で、前位側と似た顔をしている。前面補強は釧路で施工されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ、更にステップを追加し設置されている。これはキハ27時代からの特徴である。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右両側とも撤去されている。運転席側台枠に銘板が1枚取り付けられている。
側面は、前位側の乗降扉は原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。後位側便所側の乗降扉は、5-2次車以降のドア下部隅に丸窓の設けられ、戸当たりレール2本のドアが取り付けられている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。側面に縦樋が露出して設けられているが、これはキハ53改造時の施工である。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無い。
床下はほぼ原形である。


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