キハ56 37



1962年5月25日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度第2次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット35〜38のうち、37・38が函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始したが、1963年には函館に長大編成対応の100番台が新製投入され、当車は玉突きで苗穂へ転出した。苗穂では北海道全域の急行で使用された。当車はそのまま苗穂で国鉄末期まで長く使用されたが、「60-3改正」で急行が削減されると余剰となり、1985年3月17日付で旭川へ転属した。旭川では主に普通列車で活躍したが地方交通線の廃止と共に余剰となり、JR化直前の1987年3月16日付で廃車となった。

前面は、苗穂工場で前面補強されている。ワイパーはWP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに短い手すりに改造された、苗穂工場標準の形態である。当車は正面手すりの位置が低い変形車である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は後期車に準じたステップ一体型に改造されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上では、水タンクは、北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。またJR継承が予定されていたのか、列車無線アンテナが設置されたが結局継承されなかった。
床下は原形のままである。


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