キハ56 38 → キハ53 510



1962年5月25日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度第2次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット35〜38のうち、37・38が函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用開始した。その後も函館で長く使用され、「ヨンサントオ改正」以降は主に急行「宗谷」「ニセコ」「すずらん」で長く使用された。「56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管後は主に臨時・季節急行で活躍したが余剰気味となっており、「59-2改正」で釧路の経年車を置き換えるべく1984年2月4日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「しれとこ」「ノサップ」で活躍したが、急行「ノサップ」を単行運転とすることとなり、1986年10月29日付で「キハ56 17」の運転台を移植し、「キハ53 510」へ改造された。そしてそのままJR北海道へ継承された。JR化後もしばらく急行「ノサップ」で活躍したが、快速に格下げされキハ54へ置き換えられることになり、1988年10月22日付で苗穂へ転属した。苗穂では札沼線の末端区間で単行で使用されたが、1993年に宗谷北線を追われたキハ53と交代し余剰となり、1993年9月28日付で廃車となった。

前位側前面は、五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されているが正面窓下の手すりは原形のままで、函館地区の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されているが、位置がタイフォン側へ寄っている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は両側とも撤去されている。
後位側前面(元キハ56 17)は元釧路配置である。前面補強は釧路で施工されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されているが、位置がタイフォン側へ寄っている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は左右両側とも残存している。運転席側タイフォン上部に銘板が2枚取り付けられている。
側面は、前乗降扉は原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。後位側便所側の乗降扉は後位側用の戸当たりレール2本のドアが取り付けられているため、タブレット保護柵用の窪みは無い。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。側面に縦樋が露出して設けられているが、これはキハ53改造時の施工である。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無い。
床下はほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る