キハ56 47 → キハ53 505



1962年9月10日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度本予算で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット44〜47のうち、45〜47が苗穂へ配置された。苗穂では道内全域の急行で活躍した。1968年には札幌運転所拡張に伴う運用移管で札幌へ転属した。以降主に急行「すずらん」「ちとせ」「えりも」等で活躍したが、1972年3月改正で函館・室蘭本線系統急行の一部が特急化され、札幌運転区へキハ80系が配置されるようになったことからこれと交代し再び苗穂へ転属した。苗穂では道内全域の急行で活躍したが、1980年以降急行の特急格上げや廃止により次第に普通列車で使用されるようになり、1980年10月5日付で旭川へ転出した。旭川では残った急行「かむい」や普通列車で活躍したが、地方交通線の廃止も進み余剰気味となっていた。しかし普通列車の短編成化のためキハ56の両運転台化改造を行うことになり、当車はその種車に選ばれ、キハ27 52の運転台を移植し1986年3月31日付でキハ53 505へ改造された。この当時地方交通線の廃止が進み、国鉄解体に向けてキハ54の新製が計画されていたことから、あくまで「つなぎ」的な存在の筈であった。しかしキハ54の新製両数は必要最小限とされたことや、他の老朽キハ22より使い勝手が良いことから重宝され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は旭川運転所配置で各線で普通列車で使用された。1991年には宗谷北線営業所が開設され、キハ53はここに集められ、主に宗谷本線の名寄以北で活躍した。しかし1993年には宗谷北線のワンマン化を行うことになりキハ54と交代し、当車は非ワンマンのままの深名線専用車として活躍することになった。深名線では超過疎ローカル線を急行色単行で活躍し注目を集めた。1995年9月の深名線廃止後は唯一キハ53 500番台が残った札沼線用として1995年9月6日付で苗穂へ転属した。苗穂では従来から配置の501・504と共に札沼線で活躍したが、1996年3月のダイヤ改正でワンマン化に伴いキハ40 400番台が投入されることになり、これと交代し1996年3月29日付で廃車となった。

前位側前面は、苗穂工場で前面補強されている。ワイパーはWP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短い手すりに改造された、苗穂工場初期の形態である。当車は正面手すりの位置が低い変形車である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されているが、北海道では珍しく台座付きとなっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。当車は唯一前位側に銘板が取り付けられており、台枠付近に1枚取り付けられている。
後位側前面(元キハ27 52)は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50に改造されているが、手すりは原形のままである。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。当車はキハ53 500番台では少数派の、側面に縦樋が露出していない車両で、すっきりした側面が特徴であった。なお当車の便所臭気抜き窓は位置が低い。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無い。
床下はほぼ原形である。


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