キハ56 110



1963年10月1日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で函館運転所に新製配置された。同一ロット110〜112全車が函館へ配置された。函館では長大編成を組む「オホーツク」「宗谷」「摩周」で従来の0番台に代わり使用開始した。その後も函館で長く使用され、「ヨンサントオ改正」で受け持ち区の整理が行われた後は主に急行「宗谷」で長く活躍した。56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管された際に余剰となり、初期車置き換えのため1981年10月7日付で苗穂へ転属した。苗穂では移管された急行「宗谷」の他、「天北」「はぼろ」「大雪」「紋別」「らいでん」「狩勝」等、各方面の急行で活躍した。しかし「60-3改正」で急行の削減が行われると捻出され、1985年5月13日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「ノサップ」「しれとこ」のほか根室本線・釧網本線の普通列車でも活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」では急行「ノサップ」のキハ53単行化や急行「しれとこ」「狩勝」の快速格下げが行われると余剰となり、100番台車ながらJRへ継承されず1986年12月27日付で廃車となった。

前面は、函館時代に五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すり位置が若干下がっており、函館地区の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は設けられておらず、ケーブルは標識灯掛けに引っ掛けられているケースが多かった。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本で扉下部隅に丸窓の付いたドアが付いている。函館の5-2次車までの車両は6-3次車以降と同形の運転席側窓のバランサー点検蓋が設置されており、当車も改造されている。
屋根上は、水タンクが北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。
床下はほぼ原形である。


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