キハ56 111



1963年10月1日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で函館運転所に新製配置された。同一ロット110〜112全車が函館へ配置された。函館では長大編成を組む「オホーツク」「宗谷」「摩周」で従来の0番台に代わり使用開始した。その後も函館で長く使用され、「ヨンサントオ改正」で受け持ち区の整理が行われた後は主に急行「宗谷」で長く活躍した。「56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管された後は残った急行「ニセコ」で活躍したが、「57-11改正」で減車された際に余剰となり、初期車置き換えのため1982年11月20日付で池田へ転属した。池田では急行「狩勝」の付属編成等で活躍したが、正面を大破した写真が記録されており恐らく事故に巻き込まれたものと思われ、「59-2改正」で池田機関区配置車が釧路へ統合されたため転属したものの、1984年3月10日付で廃車となっている。

前面は、函館時代に五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すり位置が若干下がっており、函館地区の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は両側とも残存している。当車は5-2次車にも関わらず正面のステップが1-2次車以前と同様タイフォンの上部にある変形車である。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本で扉下部隅に丸窓の付いたドアが付いている。便所側面には、汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。また函館の5-2次車までの車両は6-3次車以降と同形の運転席側窓のバランサー点検蓋が設置されており、当車も改造されている。
屋根上は、水タンクが北海道で良く見られる角型の形状へ変更されている。
床下はほぼ原形である。詳細な資料はないが、恐らく汚物処理装置は未取り付けのまま廃車になっていると思われる。


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