キハ56 113 → キハ53 506



1963年10月3日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で函館運転所に新製配置された。同一ロット113〜116全車が函館へ配置された。当時函館へは長大編成対応の5-1次車・5-2次車である101〜116が一挙に配置され、急行「宗谷」で使用開始したほか、急行「ニセコ」「摩周」でも使用された。「ヨンサントオ改正」で受け持ち区の整理が行われた後は主に急行「宗谷」で長く活躍した。「56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管後は主に臨時・季節急行で活躍したが余剰気味となっており、「60-3改正」で旭川の経年車を置き換えるべく1985年3月21日付で旭川へ転属した。旭川では普通列車の短編成化のためキハ56の両運転台化改造を行うことになり、当車はその種車に選ばれ、「キハ56 46」の運転台を移植し1986年3月12日付で「キハ53 506」へ改造された。この当時地方交通線の廃止が進み、国鉄解体に向けてキハ54の新製が計画されていたことから、あくまで「つなぎ」的な存在の筈であった。しかしキハ54の新製両数は必要最小限とされたことや、他の老朽キハ22より使い勝手が良いことから重宝され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は旭川運転所配置で各線で普通列車で使用された。1991年には宗谷北線営業所が開設され、キハ53はここに集められ、主に宗谷本線の名寄以北で活躍した。しかし1993年には宗谷北線のワンマン化を行うことになりキハ54と交代し、宗谷北線営業所配置のまま1993年9月28日付で廃車となった。

前位側前面は、五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すり位置が若干下がっており、函館地区の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されているが、位置がタイフォン側へ寄っている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の通風口は両側とも残存している。

後位側前面(元キハ56 46)は、苗穂工場で前面補強されている。ワイパーはWP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短い手すりに改造された、苗穂工場初期の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ設置されているが、ステップともども位置が通常より低い。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去されている。銘板が取り付けられており、台枠付近に1枚取り付けられている。
側面は、前位側乗降扉は原形の戸当たりレール2本で扉下部隅に丸窓の付いたドアが付いている。後位側は種車の、戸当たりレール2本で丸窓の無いドアが付いている。種車のキハ56 113時代から、運転台側面に6-3次車以降に準じ側窓バランサー点検蓋が設けられている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。当車はキハ53 500番台では少数派の、側面に縦樋が露出していない車両で、すっきりした側面が特徴であった。なお当車の便所臭気抜き窓は位置が低い。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無い。
床下はほぼ原形である。


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