キハ56 120 → キハ53 507



1965年5月20日新潟鐵工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット117〜120全車が苗穂へ配置された。苗穂では北海道内全域の急行で活躍を開始したが、新製直後の1965年度9月1日に札幌運転区開設により同区へ転属した。札幌では主に室蘭本線系統の急行「すずらん」「ちとせ」「えりも」の他、急行「紋別」「はぼろ」等で使用された。1975年には旭川との間でキハ56とキハ27の交換があり、当車は1975年7月17日付で旭川へ転出した。旭川では急行「宗谷」の付属編成や急行「かむい」等で活躍した。しかし1981年10月改正で列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。この頃から次第に普通列車に組み込まれることが多くなった。「60-3改正」では急行の廃止が進み当車も余剰気味となっていたが、普通列車の短編成化のためキハ56の両運転台化改造を行うことになり、当車はその種車に選ばれ、「キハ27 39」の運転台を移植し1986年1月21日付で「キハ53 507」へ改造された。この当時地方交通線の廃止が進み、国鉄解体に向けてキハ54の新製が計画されていたことから、あくまで「つなぎ」的な存在の筈であった。しかしキハ54の新製両数は必要最小限とされたことや、他の老朽キハ22より使い勝手が良いことから重宝され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は旭川運転所配置で各線で普通列車で使用された。1991年には宗谷北線営業所が開設され、キハ53はここに集められ、主に宗谷本線の名寄以北で活躍した。しかし1993年には宗谷北線のワンマン化を行うことになりキハ54と交代し、当車は1993年3月30日付で旭川へ転属し非ワンマンのままの深名線専用車として活躍することになった。深名線では超過疎ローカル線を急行色単行で活躍し注目を集めた。1995年9月の深名線廃止後は唯一キハ53 500番台が残った札沼線用として1995年9月6日付で苗穂へ転属した。苗穂では従来から配置の501・504と共に札沼線で活躍したが、1996年3月のダイヤ改正でワンマン化に伴いキハ40 400番台が投入されることになり、これと交代し1996年3月29日付で廃車となった。

前位側前面は、旭川工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのまま位置が低いという旭川工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、新製時よりステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。
後位側前面(元キハ27 39)は、苗穂工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに短い手すりに改造された、苗穂工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、当車特有のテールライト下部付近へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。タイフォン上部に銘板が2枚取り付けられている。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。なお当車は後位側便所側の乗降扉は、タブレット保護柵用の窪みの無い、後位側用のドアを付けている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。側面に縦樋が露出して設けられているが、これはキハ56時代からの施工である。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無い。
床下はほぼ原形である。


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