キハ56 121 → キハ53 508



1965年12月18日新潟鐵工製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で札幌運転所に新製配置された。同一ロット121〜124全車が札幌へ配置された。札幌では主に室蘭本線系統の急行「すずらん」「ちとせ」「えりも」の他、急行「紋別」「はぼろ」等で使用された。1975年には旭川との間でキハ56とキハ27の交換があり、当車は1975年7月17日付で旭川へ転出した。旭川では急行「宗谷」の付属編成や急行「かむい」等で活躍した。しかし1981年10月改正で列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。この頃から次第に普通列車に組み込まれることが多くなった。「60-3改正」では急行の廃止が進み当車も余剰気味となっていたが、普通列車の短編成化のためキハ56の両運転台化改造を行うことになり、当車はその種車に選ばれ、「キハ27 21」の運転台を移植し1986年3月31日付で「キハ53 508」へ改造された。この当時地方交通線の廃止が進み、国鉄解体に向けてキハ54の新製が計画されていたことから、あくまで「つなぎ」的な存在の筈であった。しかしキハ54の新製両数は必要最小限とされたことや、他の老朽キハ22より使い勝手が良いことから重宝され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は旭川運転所配置で各線で普通列車で使用された。1991年には宗谷北線営業所が開設され、キハ53はここに集められ、主に宗谷本線の名寄以北で活躍した。しかし1993年には宗谷北線のワンマン化を行うことになりキハ54と交代し、当車は1993年3月31日付で旭川へ転属し非ワンマンのままの深名線専用車として活躍することになった。深名線では超過疎ローカル線を急行色単行で活躍し注目を集めたが、当車は故障等運転上深刻な状態が発生し、経年車で予備車のキハ53 502と交代し1994年7月13日付で廃車となった。

前位側前面は、旭川工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのまま位置が低いという旭川工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、新製時よりステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。
後位側前面(元キハ27 21)は、五稜郭工場で前面補強が施工されている。ワイパーは、WP50に改造されているが正面窓下の手すりは原形のままで、函館地区の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。タイフォン上部に銘板が2枚取り付けられている。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本のドアが付いているが、下部隅の丸窓は撤去されている。なお当車の後位側便所側乗降扉は、タブレット保護柵用の窪みの無い、後位側用のドアを付けている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。側面に縦樋が露出して設けられているが、これはキハ56時代からの施工である。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無いが、種車が6-5次車であるので前位側デッキに通風器が設置されている。
床下はほぼ原形である。


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