キハ56 139



1967年4月4日新潟鐵工製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット138〜141のうち、138〜140が函館へ配置された。函館では急行「宗谷」の他、急行「ニセコ」「すずらん」等で活躍した。「56-10改正」では急行「宗谷」が札幌で系統分離され苗穂の担当となったため函館の運用は激減し、以降は主に波動用として使用されることが多くなった。「60-3改正」では経年車置き換えのため1985年3月25日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「しれとこ」「ノサップ」で活躍したが、急行「ノサップ」を単行運転とすることとなり、1986年9月1日付で「キハ27 33」の運転台を移植し、「キハ53 509」へ改造された。そしてそのままJR北海道へ継承された。JR化後もしばらく急行「ノサップ」で活躍したが、快速に格下げされキハ54へ置き換えられることになり、1988年10月22日付で苗穂へ転属した。苗穂では札沼線の末端区間で単行で使用されたが、1993年に宗谷北線を追われたキハ53と交代し余剰となり、1993年9月28日付で廃車となった。

前位側前面は、前面補強未施工である。ワイパーは、WP50に改造されているが、正面窓下の手すりは原形のままである。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当次車は電熱ヒーター入りの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。正面窓上の通風口は左右とも残されている。
後位側前面(元キハ27 33)は元釧路配置である。前面補強は釧路で施工されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ、更にステップを追加し設置されている。これはキハ27時代からの特徴である。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は左右両側とも撤去されている。運転席側タイフォン上部に銘板が1枚取り付けられている。
側面は、前後位側とも乗降扉は原形の戸当たりレール2本で扉下部隅に丸窓の付いたドアが付いている。後位側便所側の乗降扉は後位側用の戸当たりレール2本のドアが取り付けられているため、タブレット保護柵用の窪みは無い。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。側面に縦樋が露出して設けられているが、これはキハ53改造時の施工である。
屋根上は、非冷房車であり特に目立った特徴は無いが、種車が7-2次車であるので前位側デッキに通風器が設置されている。
床下はほぼ原形である。


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