キハ56 211



1968年8月31日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット210・211両車とも苗穂へ配置された。苗穂では道内全域の急行で使用開始したが、札幌運転所の拡張により1969年度中に札幌へ転属している。札幌では主に室蘭本線系統の急行「すずらん」「ちとせ」「えりも」の他、急行「紋別」「はぼろ」等で使用された。この状態は国鉄末期まで続き急行削減後も後期車であることから最期まで残った急行「ちとせ」用として引き続き残り、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は、青函トンネルの開業した1988年3月のダイヤ改正で札幌運転所のキハ56系配置が苗穂へ統合され、当車は1988年3月13日付で苗穂へ転属した。引き続き苗穂配置で急行「そらち」「ちとせ」や函館本線山線・札沼線などの普通列車で使用された。急行の廃止及びキハ400系化後は主に波動輸送や宗谷本線方面急行の増結等で使用されたが、1995年には旭川に配置されていた平窓車と交代し、1995年3月27日付で旭川へ転属した。以降旭川地区で波動輸送用として活躍したが、キハ183系の波動用への転用に伴いキハ56系は玉突きで余剰となり、当車は1999年5月18日付で一旦釧路へ転属した。釧路では検査期限の迫っていた従来車に混じり波動用で活躍したが、釧路での波動用キハ56運用終了に伴い2000年12月8日には苗穂へ戻った。最期は2001年10月1日付で廃車となり暫く五稜郭車両所で保管されていたが、保存等されることなく解体されている。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強がされていない。ワイパーは、WP50に改造されているが正面窓下の手すりは原形のままで、北海道のモデルチェンジ車標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当次車はタイフォン下部左右に分かれて制御用ジャンパ受栓があり、受栓自体は耐雪仕様のヒーター入りが取り付けられている。放送ジャンパ受栓は、苗穂工場のモデルチェンジ車標準の、タイフォン横ステップ上部へ設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。当車は貫通扉が原形のままであるが、北海道では平窓用のものと交換された車両が大半であり、原形の車両は珍しい。
側面は、乗務員室扉は平窓車用のものと交換されている。乗降扉も平窓車のものと交換されており、下部の丸窓なし、戸当たりレール2本となっている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。便所部側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上は、原形のままの冷房準備車である。
床下はほぼ原形のままであるが、後位側に汚物処理装置を取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る