キハ56 212 → キハ59 101



1968年9月10日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット212〜214全車ともに函館へ配置された。函館では急行「宗谷」で運用されたが、1969年の車輛交換で苗穂へ転属している。苗穂では北海道全域の急行列車で使用された。この状態は国鉄末期まで続いたが、「61-11改正」に伴う急行削減後は余剰となり1986年11月25日付で「アルファコンチネンタルエクスプレス(以降アルコン)」の増号車へ改造され、「キハ59 101」へ改番された。これは、従来増結用としてキロ26 202が用意されたが旺盛な需要でこれの増結が常態化し、1エンジン車のキロ26を増結する際には出力を補うため一般のキハ56を締切扱いで増結するなど運用上好ましくない状況が続いたため、出力低下させず増結する中間車として当車が改造されたのである。改造後は主に札幌〜新得間で使用され、そのままJR北海道へ継承された。JR化後も引き続き同区間の特急で使用されたり、閑散期は団体用・臨時列車として活躍した。しかしバブル崩壊後トマム・新得方面への需要が減少したこと、特急の増発・グレードアップ・スピードアップによりあえて「アルコン」を新得まで走らせる必然性が薄れたこと、車両が老朽化してきたことから1995年7月の運行が最後となり、1995年10月10日付で廃車となった。

「アルコン」へ改造された際に、前位側運転台が撤去され完全な切妻の車体となった。運転台の撤去された前位側には廃車発生品の4DQ-11P発電セットが搭載され、自車の電源を確保した。この部分は1位側に機器取り外し用の開口やルーバーが設けられ、反対の2位側は通路とされ窓が設けられている。なお前位側の妻面には雨どいが露出して取り付けられている。後位側は一部の窓が埋められ、窓自体も固定化されている以外は比較的原形を保っているが、便所は撤去され荷物置き場とされている。
屋根上はクーラー及び換気扇が搭載されている。
床下はほぼ原形である。また床下機器は全て黒で塗装されている。


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